Day 1 時計の針に目をやると時刻は9時をちょうど過ぎたあたりだった。その朝はいつもよりはっきりとしていて、そしてどこかよそよそしかった。いつも決まって11時に小柄な男が僕の家に小包を届けに来る。それは、みかん箱位のサイズの時もあるし、レターパックの時もある。今日は彼が最後の荷物を配達に来る。それが始まりの合図となる。僕はそれまでにある程度のことを済ませておかなければならなかった。 僕は朝食にオーブンで焼いたトーストに、シーチキン・マヨネーズを乗せ上手く半分に折って頬張った。食べ終わるのには5分もかからなかった。次に洗面所に向かい、時間をかけて丁寧に髭を剃り、小さなハサミで眉を整え、耳掃除をし、鼻毛を切り、最後に軽く髪を水で濡らしドライヤーで整えた。今の僕にとって身だしなみを整えるということは調理師が包丁を研ぐのと同じように、執筆家が万年筆を手入れするのと同じように重要な作業である。 その後自分の持ち物に不備が無いかもう一度念入りに確認する。大きなカリマーの40リットルのバックパックには季節を通して一応は対応できる衣類とダウンハガーの寝袋、 テント型のハンモック、 マックブックプロ、洗面用具がしっかりと入っていることを確認する。小さなモンベルの20リットルのバックパックにはソニーのミラーレス一眼カメラとパキスタン製のスカーフを入れた。小型のブルートゥース・スピーカーは最後まで持っていくか迷ったが結局置いていくことにした。 全ての点検が一応に終わったところでタイミングを測ったかのように小柄な男がチャイムを二回鳴らした。彼は必ず5秒ほどの間をあけてチャイムを二回鳴らす。それが彼のトレードマークのようなものだった。彼はマルチツールナイフと折りたためるプラスチックの水筒が入った小さなダンボールを僕に手渡した。僕は受諾のサインをし、それを手際よく開け、中身を大きなほうのバックパックに詰めた。時刻は11時30分を過ぎていた。僕は急いで大きなバックパックを背中に背負い、腰ベルトをきつく締めた。小さなバックパックは自分の前に担ぎ、新調したニューバランスのウォーキングシューズを履き、念入りに口紐を締めた。 玄関をでると庭で両親が落ち葉を丁寧に掻き集めていた。庭の木はまるで3歳の子供のように葉っぱを思う存分庭にばらまいていた。僕は綺麗に掃除された庭を汚さないように慎重に両親の元へ歩いた。 「行ってくるね」 「おう、じゃあ」 と両親は声を合わせて答える。 まるで二人は何年も前から僕の言うことを予想してたかのようにあっさりと言葉を返した。その言葉には驚きも悲しみも感じなかった。僕はなぜ両親が大きなバックパックを背負っている子供を見て、何も言わないのか皆目検討もつかなかった。小さな沈黙が十秒ほど続いた。僕はそのことについては深く考え無い方が良いと思った。小さくお辞儀をし、すぐに庭を後にし南駅のある方向へ歩き始めた。 南駅へは新しい道が整備されたお陰で8分ほどでついた。駅のすぐ横には僕がつい最近まで働いていた本屋が見えた。そのまま通りすぎようかと思ったが、僕は足を止め、顔を出すことにした。一階の自動ドアをくぐると中には20年近くパートをしている熟練のたえさんがいた。皆たえさんと呼ぶので僕もたえさんと彼女を呼んでいた。 「あなたがその姿でここに来ることはなんとなくわかっていたわ。これを持って行って。」 と彼女は僕に台紙を渡してくれた。そこには15人ほどの従業員が2・3文の短い言葉で僕に対しての感謝の意や思い出を思い思いに書きこんでいた。僕はありがとうと告げ、その寄せ書きを小さなバックパックの背中のポケットに差し込んだ。僕は少し恥ずかしくなり、すぐに店を出て駅のコンコースへ向かった。 駅のエスカレーターを登ると目の前にできたばかりの電光掲示板があった。僕は一年近い間、電車に乗っていなかったので、それがいつ出来たのかわからなかった。もしかしたら昨日できたのかもしれないし、一年前からあったのかもしれない。どちらにせよ僕の目には新しく見えた。表示板には浅草行きと栃木方面行きの表示があった。僕はどちらに乗ろうか少し迷ったが、どちらに乗ってもあまり意味は無いだろうと思った。なぜならその行き先表示は方向感覚を失ったコンパス程度の役割しか果たしていなかったからだ。発車時刻を見ると栃木方面行きのほうが4分ほど早かったので下りホームである2番線の階段へと向かった。 重い荷物を背負っていたせいか、その階段はいつもの2倍近くの段数に感じた。長い時間をかけホームに降りた。5分ほど待つと栃木行きの電車がホームへと入ってきた。六両編成で車内には70代くらいの夫婦と60代くらいの女性3人が乗っていた。おそらく年金をやりくりして旅行へと向かうのだろう。と僕は思った。夫婦が僕のことをみて微笑んだので僕も微笑んで少しお辞儀をした。 車内のアナウンスが55分後に終点に着くことを告げていた。僕にはちょうど良い時間だったのでそのまま終点まで乗ることにした。僕は列車に揺られながら移りゆく景色をまるでショーケースに入れられた小動物のように眺めた。 終点の駅は都会より少し落ち着きを取り戻しているように見えた。僕は少しお腹が空いていたので改札を一度出ることにした。そこには駅直結型のスーパーマーケットとファミリーレストランが併設されており、入り口のベンチで主婦が世間話を広げていた。少し先に牛丼屋が見えたので僕は牛丼屋まで歩き、大盛りの牛丼と生卵を頼み、急いで食べた。特に急ぐ理由はなかったのだがなんとなくそうしたかったのだ。 牛丼屋は大通りに面していたので、僕はその大通りを駅とは逆方向に歩いた。通り沿いの商店は6割ほどがシャッターを閉じていた。平日の昼過ぎなので休みではなく閉業しているのだろう。と僕は思った。典型的な地方の商店街だった。 僕は無心に歩いた。いやそれは歩くというよりも、何かから逃げているようだった。それは奇妙な逃亡だった。追いかけてくるものの姿もないし、追うものの姿もなかった。それはまるで大空を逃げ回る無数の小鳥たちのようだった。僕は彼らと僕の状況を比較してみたが、彼らは空を飛べるという点でいささか優勢なように思えた。僕は手当たり次第に景色や看板、車や植物を頭のなかへと記憶した。40分ほど歩くと目の前に東武鉄道小学校駅という看板が見えた。僕は歩くのに少し退屈になっていたので、その駅からまた電車に乗ることにした。小学校駅は先程とは打って変わってずいぶんと廃れていた。時刻表をみると平均して1時間に2本ほどの電車が運行されていた。15時台は13分と48分だった。 次の電車まで30分程度あったが、特にすることもなかったので僕は改札の中に入り、小さなバックパックに入れておいたドミニック・ローホーの文庫本を読んだ。しかし30分後の電車が気になり読書には全く集中できなかった。もちろん日本の鉄道の運行技術からして、列車はおおむね時刻通りに来ることはわかっていた。しかしこの駅にはそういった日本のハイ・テクノロジーを確認することは不可能に近かった。まず駅としての基本装置が全て欠けていた。改札というものが存在していないし、線路を横断している道路に踏切が設置されていない。牛丼屋を出てからここに来るまでの間一人の人間とも会っていない。 僕はそのうちこの駅舎が現在も本当に使われていて、列車がきちんと運行されているのか確信が持てなくなってしまった。しかし確信を欠いたところで今の僕には30分後の列車を –運行されていないかもしれない列車を– 待つことしかできなかった。 やがて空から青色の要素が衰退し赤みがかかり始めた頃15時48分発の列車は一分の誤差もなく到着した。それはまるで『イントゥ・ザ・ワイルド』で荒野に捨てられていたマジック・バスと同じくらい僕の目には不思議に写った。その列車の行先表示板には行き先が3つ表示されていた。僕は今まで行先表示板に異なった3つの駅名が書いてある列車に乗ったことがなかったので少し戸惑った。この列車は今すぐに3つに分裂してそれぞれ自分の目的地に向かうのだろうか。しかしどの目的地だろうと今の僕には全く関係のない事に気付いた。僕は列車に乗ることを必要としているわけで、目的地につくことを必要としていない。キャッチ・アンド・リリースを楽しむ人は釣りを必要としていて、それを持ち帰ることを必要としていない。それだけのことだ。 僕は最も近いドアから列車に乗った。車両には刈り上げ頭の高校生が二人と、会社帰りと思われる50代くらいのビジネスマンが一人乗っていた。僕は彼らから少し離れた座席に腰を下ろした。座席のクッションは僕を包み込むように心身の疲れを少し取ってくれた。列車が出発してしばらくすると車内放送がこの列車は次の駅で車両が切り離され、それぞれ別の行き先になることを教えてくれた。僕は車両を移動しようかどうか考えたが、この座席が甚く気に入っていたので、このまま車両に残ることにした。僕は暇つぶしに駅で貰った観光案内パンフレットを眺めた。しかしそれは世界地図くらいにしか役に立たないものだった。僕はすぐにそれをバックの中に放り込み、読みかけていたドミニック・ローホーの文庫本の続きを読んだ。今度は少し集中することができた。おおよそ三分の二のページを読み終えたところで列車は終点へと到着した。駅名標には「日光」というが文字が並んでいた。 僕はもう一度重いバックパックを背負い列車を降り、適当な行き先まで買った切符を駅員に差し出した。駅員は少し困惑して数人でひそひそと話をしながら精算すべき料金を勘定していた。3分ほどすると860円でいいと駅員は僕に言った。異議を唱えるつもりもなかったので僕はポケットから小銭を出し、使える小銭を全て使い精算した。 駅を出ると冷えた空気が辺り一面を覆っていた。僕はジャケットのジッパーをめいいっぱいまであげフードをかぶった。時刻はとっくに夜になっていたので、僕はあたりを歩いて飲食店を探した。しかし駅前には土産店が軒を連ねているだけで飲食店らしきものは何一つ見当たらなかった。 少し遠くにコンビニエンス・ストアの看板が見えたので仕方なくそこまで歩き、シーチキン・マヨネーズのおにぎりと五目チャーハンのおにぎりを買い、バックに詰めた。店の出入口に駅周辺施設の案内チラシがあったので、僕はそれを一つとった。公園かキャンプ場が無いかひとしきりその地図を確認した。しかしその地図には公園もキャンプ場も大きな空き地もホテルも何も見当たらなかった。 やれやれ、と僕は思った。 仕方なく駅に引き返し周辺の小道をしらみつぶしに歩いた。1時間ほど歩いたところで小さな古民家が突然僕の前に現れた。入り口のすぐ横には木で出来た看板が設置してあり「We are Japanese hostel 3000yen 」と記載されていた。僕がその看板の文字を丁寧に読んでいると中からオーナーのような男が灯油缶を持って現れた。 「こんばんは」男は僕の姿を見て言った。 「こんばんは、今日空き部屋はありますか?」 僕は迷わず聞く。 「ドミトリーは全部埋まってますけど、個室だったらありますよ。」 彼はとても慣れた具合に答えた。 「お願いできますか?」 「もちろん」彼はニコッと笑い答えた。 中に入ると女性が一人カウンターで事務作業を行っていた。この女性もオーナーの男性も外見から年齢を判断するのが非常に困難だった。二人ともハンチング帽を深くかぶり、ハンテンのようなものを羽織っていた。 「こんばんは」と彼女は僕に言った。僕はお辞儀をし、こんばんはと返事を返そうとしたがその言葉は上手く言葉にならず口元で消え去ってしまった。 「まずはこの書類を書いてくれないかしら?書けるところだけでいいから。」 と彼女は僕に申し込み用紙のようなものを手渡した。そこには名前、住所、電話番号、国籍、出身地、緊急連絡先など、様々な項目が羅列してあった。僕は書けるところを全て記入し、彼女に手渡した。 「どうもありがとう。じゃあ、まずこのゲストハウスのシステムを説明しなくちゃいけないわね。」と言い、僕を2階の和室へと案内した。 「この建物は50年以上前に建てられたもので、それを修復して宿として使っているの。だから音とか振動はすごい響きやすいから少しだけ注意してね」 「コーヒーと紅茶は自由に入れて飲んでいいわ。夜11時から朝の8時までは玄関の鍵を閉めるからそれまでに帰ってきてちょうだい。もし朝早く出たかったら内側から鍵を開けて出て行ってもらって構わないわ。」 「わかりました。たぶん遅くまで外出しないし、早く出ることもないと思う」 「それは良かった」彼女は少し微笑みながら言った。 僕は和室に入り、荷物をおろした。肩に羽が生えたかのように体の疲労が一気に抜けていく。僕は先ほど買ったおにぎりを手に取り一階にある広間に向かった。広間にはアジア人らしき風貌の青年が二人、慣れない畳にいささかの不満を抱きながら座っていた。一人はとても細身で、見るからに体の筋肉がしっかりと鍛えあげられていた。もう一人はメガネをかけ、腹にたっぷりの脂肪を蓄えていた。僕は彼らに少し微笑みながらこんばんはと挨拶をした。しかし彼らは少し戸惑った顔をして返事を返さなかった。 カウンターの女性がフォローをするかのように口を開いた。 「彼らはシンガポールから来たの。それで今日はここに泊まってくれてるの。私達は昔シンガポールに住んでいたから彼らのことよくわかるのよ」彼女は非常に誇らしげに言った。 「あなた英語は喋れる?もし良かったら彼らと話してくれないかしら」 「流暢とまではいかないけれど、ある程度のことは話せると思う」と僕は答えた。 「大丈夫、シンガポールの人々はほとんど英語が母国語のようなものだし、もちろんそこには少しだけアクセントがあるけど、あなたが気にする程でもないわ」 「それはよかった」と僕は言い、広間に上がり彼らの向かい側に座っておにぎりの入ったビニール袋を机の上に置いた。 彼らは鉄火巻きといなり寿司の詰め合わせをそれぞれ分けあって食べていた。しかし付属している生姜と醤油のパックは全く手を付けていなかった。 「“生姜はいいとしても、醤油はつけて食べたほうが美味しいんじゃないかな”」と僕は言った。 「“頑張ってトライしてみたんだけど、どうにも苦手でね。俺はこのスタイルが好きなんだ“」と細身の男が言った。メガネの男がその通りと言わんばかりに大きくうなずいた。 「“まあ、好きにすればいいさ、君が醤油をかけずに食べたって、ソースをかけたって誰も文句は言わないさ”」 今度は二人揃って大きくうなずいた。 「“俺は”」細身の男はそこでいったん言葉を区切り緑茶を一口飲んだ。「“俺はマラソン大会に出場するために日本に来たんだ”」 「“マラソン大会?”」僕はそのまま聞き返した。 「“そう、マラソン大会。俺はマラソンが好きでね。今までに韓国、中国、マレーシア、オーストラリアのマラソン大会に出場してきたんだ”」 「“それはすごいね。なんというか僕は長距離っていうのがあまり得意ではないから走ったことはないけれど、でもそういうのって凄い魅力的だと思うな。新しい国で走れば景色も新しいだろうし”」 「“そのとおり”」細身の男は満足そうに言った。 「“君は・・それで君は、なんでここに来たんだい?”」 君はなんでここに来たんだい。僕は丁寧にその言葉を自分の中で噛み砕いた。 「“僕にも上手く説明ができないんだけど、なんというか目的があってここに来たというよりも、この場所が僕をここに連れてきたと言ったほうが正しいのかもしれない”」 「“なるほどね、そりゃあ面白いや”」細身の男は少し笑って話を続けた。 「“それじゃあ君が言う、この場所が君をここに連れてきたのなら君はこの土地を少し知っておくべきだと思うんだ。そう思わないかい?”」 「“そうかもしれない”」 「“俺たちは明日の朝、周辺の神社仏閣を見て回ろうと思うんだ。ここのチェックアウトは11時だから朝8時位に出て10時には戻ってこようと思う。良かったら一緒に見て回わるといい。その、君がここに連れて来られた理由が少しわかるかもしれない”」 「“もちろん”」と僕は答えた。 一応に会話が終わると二階からヨーロッパ系のカップルが寒さに顔をしかめながら降りてきた。彼らはオーナーに何か耳元で要件を伝え、外へと出て行った。彼らが出て行くとオーナーは僕らの方に顔を向けた。 「“せっかくみんなこうやって集まったんだし、少し話をしてくればいいじゃない。彼らはディナーを取った後、どこかのバーで少しお酒をつまむって言ってるからあなたたちも行って五人で話をすればいい”」 「“悪くないね”」細身の男が満面の笑みで答えた。メガネの男はその通りとまた大きくうなずいた。メガネの男は驚くほど無口だった。僕は彼が全く話さないことに関してはあまり関与しない方がいいと思った。 一時間ほど経ったところで僕らは彼らと合流した。男性はドイツから、女性はオーストリアから来たと話した。僕以外のメンバーはほぼネイティブ・スピーカーだったので、僕は彼らの話を70パーセントほどしか理解することができなかった。僕は余計な誤解を招かないよう、彼らの話を聞くことに専念し、発言することを必要最小限にとどめた。しかし彼らは驚くほど話した。僕はなぜ彼らがここまで話が尽きないのかまったく理解することができなかった。一時間経っても彼らは話すことをやめようとはしなかった。しかしメガネの男はまだ一言も話さなかった。2時間10分が経ったところで店員が僕に退席を求めた。僕は彼らにそれを説明すると残念がってのろのろと店を出て行った。 宿に戻ると僕と同じくらいの歳の女性がソファーに座っていた。 「こんばんは、私ユウコっていうの。ここで住み込みでお手伝いをしているの。」 「そうなんだ、こんばんは」僕は答えた。 「あなたが旅をしているって聞いてね。私今までたくさんの場所を旅してきたからあなたに少しアドバイスをあげようと思って」 「それはどうもご親切に」僕はもう一つのソファーに腰を下ろした。 「まず、土日は絶対に予約をした方がいいわ。あなただって毎日こんな目に会いたくないでしょ?」 「たしかに」 「そして小さい楽器を絶対に持って行くこと。あなたが弾ける弾けないは関係なしにね。それと目的地はあまり設定しないほうがいいと思うわ」 「それはご心配に及ばないと思う」と僕は正直に答えた。 「よかった。私は今ここで仕事をしているし旅に出ることはできないから、あなたの旅の話を是非聞いてみたいわ。何か名刺とか持っている?」 僕は自分の電話番号とメールアドレスが乗った名刺を渡した。 「ありがとう。あとで連絡するわね」と言い、彼女は部屋に戻った。 僕もとても疲れていたので、部屋に戻りすぐに布団へ潜り込んだ。 疲労が僕をすぐに暗闇へと連れ去っていった。 Day 2 僕は6時に目を覚ました。いやそれは目を覚ましたというより起こされたと表現したほうが適切かもしれない。ドンドンと部屋の扉を誰かが叩いている。コンコンでもなくトントンでもなく、たしかにドンドンという音だった。 部屋の簡易式の鍵を開け外にでると細身の男が僕を待ち構えていたかのように部屋の前に立っていた。 「“ユー、早く身支度をして出発の準備をするんだ。”」男は慌てた様子で言った。 「“まだ6時じゃないか、それに、僕は君が8時に出発するって言ったから2時間かけてゆっくり身支度をするつもりで今起きたんだ”」僕も慌てて言った。 「“残念ながらユーにはそんな時間はない。今すぐ準備をして、ここを出るんだ”」 やれやれ、と僕は思った。 こんな朝早くから見知らぬ男に早急に身支度を要求されるのはあまり気分の良いものではなかった。僕は仕方なく大きなバックパックの整理をあきらめ、歯磨きと着替えのみを行い、小さなバックパックを背負いリビングにでた。リビングに出るとメガネの男が小さい布切れで丁寧にメガネを拭いていた。彼は相変わらず一言も話さなかった。 「“5分後にすぐそこのバス停から世界遺産行きのバスが出る。それに乗って俺らは神社を見に行くんだ。わかったね?”」 「“5分後にバス停に行く”」僕は繰り返した。 「“そのとおり。今から行けば9時には戻ってこれるだろう。それから朝食でも身支度でも何でもすればいい。”」 そう言うと細身の男は玄関の鍵を開け外に出た。外は大粒の雨が降っていたが彼はまるで雨が視界に入っていないかのようにそのまま勢い良く外に飛び出して行った。僕とメガネの男はあわててバックパックから折りたたみ式の傘を取り出し、骨を広げ彼の後を追った。バス停にはもうバスが到着しており、細身の男はドアを体でおさえ僕たちに早くしろとジェスチャーをした。僕らが走ってバスに乗り込むとバスのドアは圧縮空気の音を立て勢いよくしまった。 「“しかし何でこんな朝早くから神社に行かなくちゃならないんだい?そこには何か特別なもの、それこそ朝6時にしか見れないものでもあるのかい?”」僕は少し息を切らせながら言った。 「“まあ、そんなようなものだ。”」 「“ふうん”」僕はそれ以上聞いても意味が無いと思った。 バスには僕の予想とは反してかなり多くの人が乗車していた。そのほとんどが観光客のようだった。僕はなぜこんなにも多くの人が早朝からバスに乗り観光へと繰り出すのか理解できなかった。彼の言うように何かそこには特別なものがあるのだろうか。僕は不思議に思いながら窓の外の移り変わる景色に目をやった。 30分ほどすると正門前というバス停のアナウンスが車内に流れた。細身の男はそこでチャイムを鳴らし、僕らにも降りるようにとジェスチャーをした。僕らは3人でバスを降りた。雨は轟音を立てて降っていたが、やはり細身の男は全く気にすることなくそのまま正門のあるほうへと歩いて行った。 正門を抜けると見渡す限り砂利道が広がっていた。その砂利はすべて同じ大きさの同じ色の同じ素材のものだった。 朝のまだ弱々しい日差しと大粒の雨と整備された砂利道がまるでベートーヴェンの交響曲のように美しく絡み合っていた。 「“俺は朝の観光地が好きなんだ。朝の観光地は朝というだけでまるで全く別のオブジェクトのように見えるんだ。日本は人口が多いからこれくらい早くしないと美しい光景には出会えないんだよ”」彼は誇らしげに言った。 「“それならそうと昨日のうちに言ってくれれば、いくぶん心の準備ができたんだけどな”」と僕は正直に言った。 メガネの男が大きくうなずいた。 2時間ほどかけてゆっくりと神社を周り、僕らは行きと同じバスに乗りゲストハウスへと戻った。玄関を入ると昨日の手伝いの女性の他にさらに3人の女性がソファーに座っていた。僕は一日であまりにもたくさんの女性に会ったせいで、彼女らの名前を少し混乱しそうになった。そこにいる女性たちは全員旅がとても好きで、今は休みの度に泊まりに来ていると語った。 僕は少しお腹が空いていたので会話を途中で切り上げ、近くのパン屋でメロンパンと中にシーチキン・マヨネーズが入ったパンを買った。僕はシーチキン・マヨネーズが大好きなのだ。 宿に戻るとドイツ人の男性とオーストリアの女性が僕の帰りを待っていた。彼らは10分後の電車で東京に行き、3日間ほど過ごし国に帰るという。僕は別れの挨拶をし、買ってきたパンを広間で食べた。 「それで、あなたこの後どうするの?」 オーナーの女性が靴を脱ぎ広間にあがってきた。 「わからないけど、たぶんヒッチハイクで北に向かうと思う」 「“北の大地が君を北のどこかに呼んでいるんだね?”」細身の男が言った。 「“あるいはそうかもしれない”」僕は答えた。 「“それならこれを持って行くといい”」と言い、細身の男が僕に未使用のバスのフリーパスを渡した。 「“本当は今日使おうと思っていたんだけど、すっかり忘れちまってね。それで行けるとこまで北に行って、そこで車をつかまえればいい”」 「“ありがとう”」と僕は言った。 僕はオーナーの夫婦と細身の男とメガネの男と手伝いの女性と旅好きの3人の女性に別れを告げバス停へと向かった。 雨は少し小降りになっていた。僕はバス停につくと荷物を置き、水筒に入れておいたお茶を飲んでバスを待った。 しかしバスはいつまで経っても来なかった。時刻表を確認したがバスは平均して15分ごとに運行されているはずだった。しかし1時間たっても来なかった。僕は不思議に思いフリーパスの案内書きを確認したが、やはりこのバス停であることに間違いはなかった。 やれやれ、と僕は思った。 仕方がないのでこのまま北に歩くことにした。バスが来たら手を上げて止まってもらえばいい。向こうも何かしら手違いがあったのかもしれない。 しかしバスはまったく来なかった。僕はバスが遅れて到着するという推測はいちおう排除したほうが良いと思った。 30分ほど歩くと前方に一台の軽自動車が停まっていた。運転席には40代くらいの小太りの女性が乗っておりハンドバッグの中身を整理していた。僕は助手席側から窓をコンコンと二回叩いた。 女性は少し驚いたような顔をしてオートマティックの窓を運転席のボタンを操作し開けた。 「すいません、ヒッチハイクをしていて、どこまででもいいので乗せてくれませんか?」僕は冬眠前の野うさぎを扱うようにできるだけ丁寧に言った。 「うーん、私ヒッチハイクとかのせたこと無くて、市内までこれから行くけどそれでよかったら」彼女はとても戸惑いながら言った。 「お願いします」 「わかったわ。後ろに乗ってくれる?」 彼女は後部座席にあった犬用のマットレスを剥がし、一人分のスペースを作った。 「あなたいくつ?」 「二十五です」簡潔な事実はこの世で最も好ましい。 「あら、私の息子と同じくらいの歳じゃないの。それでこの雨の中何をしてたの?」 「ほんとうはバスに乗ろうと思ったんです。だけどいつまで待っても来なくて。歩いて北を目指してたんです」 「少し変わったことをするのね」 「よく言われる」僕は答えた。 彼女は会話することが得意ではなかったようなので、僕は外の景色を眺め出来るだけ気を使わせないように務めた。徐々に道路沿いの建物の数が増え始めたところで彼女が口を開いた。 「私、そこの交差点を左に曲がるの。そこを左に曲がると市街地に入っちゃうから次の信号の前でいいかしら?」 「もちろん、構いません」 僕はすぐに降りることが出来るように荷物を自分の前に背負った。彼女がウィンカーを左に点滅させ、ブレーキを勢い良く踏み路肩に車を停車させた。その反動で僕は少し前のめりになった。 僕はドアを開け、先に荷物を路肩に放り投げてから車の外に出た。 「ありがとうございます」僕は片手をドアにかけて運転席の覗き込みながら言った。 「いいえ、がんばってね」彼女は笑顔で答えた。 僕がドアを閉めると彼女はまた勢い良くアクセルを踏み交差点を左折した。 僕が降ろされたのは市街地の少し手前の国道だった。雨はいっそう激しさをまし1メートル先にいる人の声さえも聞き取れないほどになっていた。僕はこの状況でヒッチハイクを続行するのはあまり良好なアイデアではないと思った。 あたりを見渡すと10メートルほど先に観光客向けの漬物屋があった。僕はその漬物屋まで歩き、中にいた店員に話しかけた。 「すみません、この近くに駅はありませんか?」 店員の女は慣れた手つきでカウンターの下からA4サイズの白黒コピーされた周辺の案内図を取り出した。 「この近くには下今駅と上今駅がございます。どちらもここからは同じ距離でだいたい20分位はかかります。あなたの行きたい方角の駅を選んで行かれて下さい。よろしければこの地図もお持ちください」 彼女はジェスチャーを使いながらとても丁寧に説明した。都内の一流ホテルの従業員でもここまで丁寧な説明はできないだろう。と僕は感心した。 上今駅のほうが下今駅より北に面していたので僕は上今駅まで歩くことにした。大粒の雨が僕の行く手を阻む。それはまるで僕に何かしらの警告をしているように思えた。 途中、何度か転びそうになる。僕はその度に上手く体勢を整えて小さなバックパックを雨から守った。 上今駅へは25分ほどで着いた。雨が降っていることを考慮すると彼女の言っていた時間はかなり正確なように思えた。 駅舎に入るとプラスティック製のベンチがLの字型に並んでいた。僕はそのベンチの真ん中に腰を下ろし、バックパックについた大量の水滴をスカーフで拭きとった。時刻表に目をやると電車は一時間に3本程度運行されていた。次の下りの電車は14分後だった。僕はその次に来る電車に終点まで乗ったほうがいいような気がした。僕自身なんでかはよく分からないが、とにかくそうしたほうが良いと思ったのだ。1280円を支払い切符を購入し、プラットホームへと降りた。5分もしないうちに電車はホームへと侵入してきた。車内には70代か80代くらいの夫婦や知り合いの集まりのような老人が40人ほど乗っていた。僕は定年退職者向けのバスツアーに一人間違えて紛れ込んでしまったような気持ちになった。彼らがまるで新種のカマキリでも発見したかのように僕のことを物珍しそうに見た。僕は彼らからもっとも離れた席に腰を下ろした。 小さなバックパックからアイ・フォーンとヘッドフォンを取り出し、僕はレイディオ・ヘッドの『キッドA』とオーラヴル・アルナルズの『リビング・ルーム・ソングス』を聞いた。どちらも外の天候を上手く思い描かせる曲だった。オーラヴルが六曲目のピアノのチェロとヴァイオリンの三重奏を奏でているところで列車は終点へと到着した。 僕はまた重いバックパックを肩に背負い電車を降りた。駅舎を出ると目の前に小さな中華料理屋があった。僕はそこで大盛りのチャーハンを頼み、あっという間にたいらげた。僕は昨日からまともな食事を取っていなかったのでむしろそれは少し足りないくらいだった。 中華料理屋を出たところでふと昨日のゲストハウスの手伝いの彼女の言葉を思い出した。時刻はまだ4時過ぎだったが、僕は先に一晩身を置くところを探すことにした。駅の市内総合案内所に入りこの辺りの宿泊場所を尋ねた。キャンプ場がここからタクシーで十分のところに一件だけあり、他は駅の近くにビジネスホテルが三件、グランドホテルが一件あるだけだと案内所の老夫婦は教えてくれた。僕はその中から最も料金が安い二件のホテルと一件のキャンプ場の住所と電話番号をメモ用紙に写した。近くのベンチに腰を下ろし、僕は迷わずキャンプ場に電話をかけた。十回ほど呼び鈴を鳴らしたが誰もその電話にでることはなかった。僕が電話を切った直後向こうからの折り返しで電話が鳴った。 「もしもし、今電話しましたよね。ちょっと遠くにいたもので、ごめんなさい」 電話口で話しているのは年をとった女性のようだった。 「いえいえ、大丈夫です。あの、もし可能だったら今日キャンプ場に泊まりたいなと思うのですが」 「今日は雨が降っているし誰も来ないから、ちょうど今キャンプ場を閉めようと思っていたところだったの、あなたラッキーね」 「それはよかった」僕は本当にラッキーだと思った。 「それで、あなたが泊まりたいのはバンガロー、それともオートテントのスペース?」 「テント型のハンモックなんですが」 「ハンモック?」彼女はまるで海底からオリハルコンを発見した考古学者のような口調で言った。 「はい。テント型の、ハンモック。もしくはハンモック型の、テント」僕は句読点をつけるようにもう一度言った。 「それがどういうものか私にはさっぱりわからないわ」 「ハンモックにルーフが付いていてテントの役割も果たすものなんです」 「申し訳ないんだけど、うちは自然によって作られた森ではなく人間によって作られた森なの。そういう森の木にハンモックを結ぶと樹皮が傷んで、やがて木が枯れてしまうの。だからうちの木にハンモックを結ぶことはできないの」 「別に木じゃなくてもいいんです。電柱でも看板でも何か柱があればいいんです」 彼女は電話口の向こうでやれやれ、とため息をついているようだった。 「電話口で聞く限りあなたにとってはとても重要なことのようね」 「そう、僕にとってはとても重要なこと」 「まあ、いいわ。とりあえず今から来てちょうだい。話はそれからしましょう」 「ありがとう」 僕は電話を切るとすぐに荷物を担ぎ、タクシー・プールへと向かいタクシーに乗った。あまりタクシーを利用するのは気が進まなかったが、彼女の口調からして早く着いたほうがあとあと問題を起こさずに済むのではないかと思った。タクシーの白髪の運転手に行き先を伝えると、彼は考えることも迷うこともなく、すぐにアクセルを踏み目的地へと向かった。おそらく彼の頭のなかにはどんな最新のカーナビゲーションシステムよりも正確な近隣地図がインストールされていて、アクセルを踏むのと同時にそのデータをまるで起動されてファンがフル回転しているハードディスクドライブのように頭から抽出するのだろう、と僕は思った。 「おにいちゃん、ここですよ」 白髪の運転手は少し微笑みながら言った。しかしそこは到底キャンプ場とは思えないところだった。それは家主を失った納屋か戦争中に襲撃されそのまま残った製紙工場のようだった。 本当にここが目的地かどうか僕は運転手に確認しようか迷ったが、彼の脳内地図の精度からして間違えている可能性は極めて低いと思った。僕は仕方なく何も言わずに1010円を支払いタクシーを降りた。 僕がタクシーのトランクから大きなバックパックを出していると電話口の女性らしき人物がその古びた建物から出てきたので僕は少し安心した。 彼女は50歳くらいで人間のある程度の困難を経験し、それを何とか乗り越えて幸せを感じている典型的な母親というような出で立ちをしていた。 「また、無茶なことをしますね。まったく」 「自分でもまったくその通りだと思う」 「今日はオフ・シーズンの平日。あなた以外に誰もいないし、あなた以外に誰も来ないわ。とりあえずこっちに来て」 彼女はそう言うと僕を森のなかに続いている小道へと案内した。軽自動車が一台通れるほどの道幅で間違いなく向かいから対向車が来たらどちらかがバックしなければならないタイプの小道だった。彼女は一切うしろを振り返ることなく歩き続けた。五分ほど歩くと急に景色が広がった。道の脇には大きな川が流れており、そのそばには大きな木製の屋根が着いたオートキャンプのスペースとキャンプの時に使うであろう簡単な調理場があった。 「ここ、本当は調理場なんだけど、好きに使っていいわ。これだけいっぱい柱があれば、どこかしらでキャンプできるでしょう?」彼女は少し息を切らせながら言った。 「ありがとう。大丈夫だと思います」 「ハンモックで泊まりに来た人なんて、ここができて四十年誰もいなかったの。そのあなたのハンモックがいったいどういうものなのか、あとでおじいちゃんと見に行ってもいい?」 「もちろん」と僕は答えた。 僕は大きなバックパックからハンモック型のテントとダウンハガーの寝袋をを取り出した。一番頑丈そうな柱が二本立っているトタン屋根の調理場を見つけその柱の間にハンモックを垂らし、ハンモックの中に寝袋を放り込んだ。寝転んだ時の体勢が安定するようにハンモックの紐を何度も調整した。 ハンモックの調整が終わると僕は大きなバックパックの中身を整理した。昨日の朝から一度も整理できていなかったせいでバックパックの中は行き場の失ったモノ達がまるでタイでクーデターを起こした労働者のように散乱していた。 僕がゆっくりとバックパックの中身を整理しているところで彼女らはやってきた。80歳を超えているであろう老人は四輪駆動の軽トラックに乗り、女の方は犬を連れて小走りでやって来た。老人は僕のハンモックを見て ふおっほっほっと笑った。その後二人はまるでアクロポリスの遺跡でも眺めるかのように僕のハンモックを長い時間かけ観察していた。 「いやあ、こりゃあ驚いた。いまの世の中にはこんなものがあるんですなあ。本当に驚かされました」老人は笑みを浮かべながら言った。 「カナダのアウトドア好きの青年が荷物を軽くしたくて思いついたそうです。まだ日本ではあまり流通していないので、たしかに珍しいかもしれませんね」と僕は言った。 「おにいさんは、これをどのようにして手に入れたのですか」老人はまた興味深そうに言った 「製造している会社に掛け合って、ほとんどタダで提供してもらったんです。あまり日本人が使っていることがなかったようで」 「ほお、そいつは大したもんですな」老人はまた ほおっほっほっと笑った。 「まあ、よろしい。こんな方は初めてだ。本当はお金なんかいらないんじゃが、どうしても本部に報告しなければならないんでねえ、千円だけいただけますか」 僕は元の価格がいくらか分からなかったがそれはかなり破格なように思えた。 料金を払い彼女らが去ってしまうと辺りには僕と川のせせらぎと小鳥たちのさえずりとはるか遠くに聞こえる自動車の走行音のみが残った。僕はひどく疲れていたので、しばらくその音を鑑賞してみることにした。 だいたいここまで物事が急速に動きすぎている。見知らぬ男に朝六時に起こされバスには見放され、大粒の雨がヒッチハイクさえ妨害した。ここに来た理由だってあの老夫婦が僕に案内しただけの話だ。僕は今までの過程をゆっくりと考えなおしたが、それは考えるほど奇妙なものだった。 僕がハンモックで思考にふけっているとオーナーの女性がやってきた。 「ここは日が暮れると本当に真っ暗になるし、本当に寒くなるから今のうちに食事や風呂は済ませておいたほうがいいわよ。オーナーハウスに温泉があるし、そこにカップラーメンもある。良かったらどう?」 「よろこんで」 僕は女性と一緒にオーナーハウスに行き、そこで温泉のチケットをもらい温泉施設の受付に通し脱衣所に入った。キャンプ場に僕一人しかいなかったのでもちろん温泉にも僕一人しかいなかった。僕は気が済むまで温泉に浸かり洗面台でタオルと下着を石鹸で洗った。何度かゆすぎをし念入りに手で絞り、ビニール袋の中に放り込んだ。 温泉施設を出て向かいにあるオーナーハウスに入ると三種類のカップラーメンが陳列棚に置いてあった。僕はその中から一番腹が膨れそうなものを選びお湯を入れてもらい、キャンプ場まで持っていきハンモックに腰掛けできるだけゆっくりと食べた。普段は汁は飲まないのだが今回は汁まで全部たいらげた。食べ終わるとあたりはすっかり暗くなっていた。僕は大きなバックパックからヘッドライトとモレスキンのメモ帳とアイ・フォーンとヘッドフォンを取り出してハンモックの中に置いた。 八時をすぎると彼女が言ったように本当にあたりが真っ暗になった。それはまるで星の光以外の発光体をすべて土の中に埋めてしまったような暗さだった。僕はその暗さに少し恐怖を覚えた。暗闇にそびえ立つ全ての木々がクスクスと笑いながら僕を監視しているようだった。僕は恐怖を紛らわすためにアイ・フォーンで音楽を聞くことにした。ハンモックに体を放り込みヘッドホンでシガー・ロスの『ホッピポーラ』とフライング・ロータスの『ユー・アーデッド』を聞いた。僕の視界は暗闇によって遮られてしまっていたので、音楽に集中するには十分すぎるくらいだった。 ユー・アーデッドの『プロテスト』を聞き終えると僕は一度体を起こしハンモックを出てあたりの景色を見回した。暗闇はいっそうその黒さを増し、寒さはまるで世界中の冷蔵庫のドアを開け放ったように寒くなっていた。雨は相変わらず大粒でトタンの屋根をビブラフォンでも演奏するかのように叩いていた。時刻はまだ9時だったが他にやることも見つからなかったので寒さが僕の体をすっかり奪ってしまう前に寝ることにした。ハンモックに横になり僕は耳栓をつけた。トタンの屋根を叩く雨音が就寝するにはいささか音量が大きすぎたからだ。 僕はいままで山奥で大雨の中ハンモックで寝たことが無かったので、うまく眠ることができるのかすこし不安に思った。もしかしたら大きな熊が現れて僕の体をすっかり食い尽くしてしまうかもしれないし、寒さが寝袋を貫通して僕の体温を奪い心肺の機能を停止させてしまうかもしれない。 しかし僕の体は僕の思考と相反し、ひどく睡眠を求めていたので、僕はすぐに眠ってしまうことができた。 Day 3(4.15update) ハンモックでの睡眠は驚くほど心地よかった。僕は以前何かの本でベットよりハンモックのほうが深い睡眠をとれるという趣旨の文を読んだことがあるが、まさにその通りだった。それはまるで僕を支える柱達が僕の疲労をすっかり吸い取ってくれたようだった。そして寝袋は僕の体温をしっかりと保有してくれていた。むしろそれは少し熱いほどだった。よって僕の昨夜の推理はどれも間違っていたことになる。おそらく熊は僕の体を食い尽くしていないし、体温も汗をかくくらい保っていた。僕は少し安心して寝袋のジッパーを開け外に出た。時間は分からなかったが日が出た直後のようだった。寝袋の外の気温は僕の予想していた気温よりの十度ほど低く寝袋を出て三十秒ほどすると、僕の体の周りに残っていた暖かい空気が全部取っ払われ冷たい空気が僕の体のいたるところを刺した。僕はあわてて寝袋に戻りジッパーを締め、寝袋を出てからやらなければならないことを頭のなかでシミュレーションした。僕の体温が少し戻ったところでもう一度寝袋のジッパーを開けハンモックから抜け出し、すぐにバックに入れておいたジャケットと旅行用のパンツを上に羽織った。ジャケットは僕の体温をうまい具合に保ってくれた。 僕は寝袋を専用のキャリングケースに押し込み、大きなほうのバックパックに入れた。次にハンモックを綺麗に折りたたみ、柱にくくりつけていた紐を解いた。一度使ってしまったハンモックをもとに戻すには少し時間がかかった。 僕が八割ほどの片付けを終えたところでオーナーの女性が犬を連れてオーナーハウスへ続く小道からやってきた。 「昨日は良く眠れた?」 「ええ」僕は片付けをしている手をそのまま動かしながら答えると、彼女はとても驚いた表情をした。 「本当に良く眠れたんだ」僕は窃盗容疑で誤認逮捕された容疑者が真実を語るときのような口調で言った。 「そう、それならよかった。案外ハンモックって心地よく寝れるのね。そうだ」彼女はそこで一度言葉を区切り、犬のリールを近くの柱に括りつけた。 「そうだ、私もう少ししたら用事があるから街中に車で行ってしまうの。だからもしよかったら最寄りの駅まで送っていってあげましょうか?」 「ぜひ」僕は笑顔で答えた。 「あんたはここでお留守番ね」と彼女は犬に向かって言うと、柱に結んだ紐が取れないようにもう一度きつくしばった。 僕は五分ほどで残りの片付けを終え、また大きなバックパックと小さなバックパックを背負い、オーナーハウスへと向かった。犬はまるでエスカレーターの注意喚起のアナウンスのように僕たちの姿が見えなくなるまで必死に吠え続けていた。 「最寄りの駅ともう一つ先に離れた駅があるの。最寄りの駅はここからすごく近いけど、電車が一時間に一本もないと思うわ。もう一つ離れた駅にはコンビニとかスーパーもあるし電車もたくさん走っている、そっちまで送ってあげてもいいけど?」 「いや、一番近い駅で大丈夫です」僕は電車に乗れさえすればいいのだ。 「そう、わかった」彼女は少し不思議がって答えた後、僕を駐車場へと案内した。そこに停まっていたのは十五年位前のスズキの軽自動車だった。山道の砂利によりボディーはすっかり傷ついていて、タイヤの付近はホコリと傷の区別がつかないほど汚れていた。彼女は後部座席を三分ほどかけて整理した。犬用のマットレスを剥ぎ、散乱しているペットボトルを集めゴミ袋に入れた。 「ごめんなさい、散らかってて。そのあなたの大きな荷物も一緒に後部座席に入れてちょうだい」 「分かりました」 僕が乗り込むと彼女は慣れた手つきでギアをバックに入れ、十メートルほど下がり今度はギアをローに切り替えアクセルを全力で踏み坂を登った。車はそのまま市道に入り、五分ほど走らせると最寄りの駅に着いた。車の窓越しにプラットフォームに停まっていた電車が発車するのが見えた。 「あら、今電車行っちゃったみたい。ごめんなさい、時刻表調べてから来ればよかったわ」 「いえ、これも旅の楽しみですから」 「あなたすごいわね」彼女はいささか呆れたような口調で言った。 「どこに行くかは知らないけれど五年後でも十年後でもいいから必ずまた泊まりに来てちょうだい。約束よ」彼女はそう言うと僕に煎餅の詰め合わせを渡した。 「ありがとうございます」僕はお辞儀をして車を降りた。 時刻表を見ると彼女の言っていた通り、次の電車は四十五分後だった。僕はベンチに腰を下ろし壁に打ち付けてある路線図を眺めた。最も北の駅は若松駅で「二六〇〇円 オトナ」との記載があった。僕は二六〇〇円を使って若松に行くことが出来る。しかしその二六〇〇円にどのような意味があるのか僕には理解できなくなっていた。お金という現実社会におけるメタファーが僕にとっては非実用的で非利便的なモノになってしまっていた。 一つ一つの状況を読み取っているうちにいつの間にか電車がプラットフォームへと侵入していた。僕はあわててバックパックを背負い、カードキー型の切符を改札でタッチし、プラットフォームへと走った。しかし電車はまるで僕の乗車を拒むかのようにあと一メートルほどのところでドアが閉まり、瞬く間に発車した。 やれやれ、と僕は思った。 仕方なく僕は同じ階段を降り、改札へと向かい駅員に乗り遅れたことを伝えた。駅員は少し笑って僕と僕のバックパックを交互に見て少し考えた後、切符の全額を僕に渡してくれた。僕は礼を言い、また同じベンチに腰を下ろした。 どの位ベンチに座っていただろうか−−僕はその時、思考という機能を失っていたように思えた。気づくと僕は壁の市内案内図をベンチに座りながら遠目で眺めていた。この駅のすぐ近くに有料もみじラインという道路があることが確認できた。この道路を抜けるとだいぶ北に進むことができるようだった。とりあえず僕はその有料道路の料金所の手前まで歩いてみることにした。 途中で雨がしとしとと降り始め、次第に強さが増していった。気温が低いせいで雨粒一粒一粒がまるで注射針のように僕の体に突き刺さった。 二十分ほど歩くと有料道路の料金所の五十メートルほど手前についた。僕はバックパックを自分の足元に置いて、通る車によく見えるように肘をしっかりと伸ばし親指を立てた。運転手たちはまるで脱走して国道を逃げまわっている競走馬を見るような目つきで僕のことを見た。四トントラックの後に白色の乗用車が二台通り過ぎていった。その後も僕はあらゆるタイプの車に向かってサインをしたが、2時間経っても止まる車は現れなかった。 雨粒は強さを増し、僕のトラベルパンツはまるでそれを履いたまま五十メートルプールを泳ぎ切ったように濡れていた。僕の体の疲労と冷えはある程度限界まで達していた。僕はヒッチハイクを中断して駅に戻ることも出来たが、特に戻る理由も見つからなかったので、あと三台の車へヒッチハイクを試みることにした。一台目は五分も経たずにやってきた。白色のスズキの軽トラックだった。運転しているのはおそらく七十代か八十代の老人だった。僕は運転席に向かってできるだけ大きく親指を立てた。彼は少し驚いた顔をしたあとに小刻みに頭を何度も下げ、スピードを上げて僕の前を通り過ぎていった。 やれやれ、と僕は思った。 その後、まるで世界中の普通自動車が消え失せたかのように車はまったく来なかった。しかし僕は三台の車を待つと決めてしまったので、否が応でも次の車を待ち続けなければならなかった。 寒さのせいで僕の時間間隔はまるでめいいっぱいゴムの部分を伸ばしたスウェットパンツみたいに以前の感覚を失っていた。おそらく一時間よりは長く半日よりは短い、そんなような時間僕は待ち続けた。まるで早朝の森の中にある僕の意識が濃霧によってだんだんと遠のいていくようだった。もう少しで霧の中に埋まってしまうという頃に、道の向こうから軽自動車がこちらに向かって走ってきた。僕はすぐに移動できるようにバックパックを肩に背負いながら腕をあげ、肘を伸ばし、親指を立てた。軽自動車の窓はおどろくほど汚れていて中の様子を確認することは不可能であった。軽自動車は速度を早めることも緩めることもなく僕の前を通った。 僕は僕の存在を地球上の人間にすっかり忘れられてしまっているのではないかと心配になった。しかしその軽自動車は僕の一〇〇メートル近く先でウィンカーを出して路肩に停車した。はじめのうち車が止まったことを僕は上手く認識することが出来なかった。というかもう少し正確に言うと、車が止まったのは目に入ったのだが、それが具体的に何を意味するのかしばらくのあいだ把握することが出来なかった。一分ほどの沈黙が流れたあと軽自動車がクラクションを鳴らした。僕はそれを聞いてようやく彼が僕を乗せてくれようとしていることに気付いた。 僕は走って彼の車のもとへと向かった。助手席のドアを開けると僕より十歳位年上の男性が笑顔で運転席からこちらを見ていた。 「今片付けるからちょっと待っててね」と言い、彼は助手席に置いてあったマルボーロのタバコとプラスティックライターと制汗スプレーを後部座席に放り投げた。 「ありがとうございます」と僕はお礼を言い、バックパックを抱っこするかたちで助手席に腰を下ろした。 「どのくらい待っていたの?」彼は笑顔のまま言った。 「たぶん二時間くらい、でもよくわからない」 「たいへんだったね、どこまで行くの?」 「とりあえずこの峠を超えたいのですが」 「オッケー」彼は驚くほど笑顔だった。その笑顔はファストフード店で店長から無理やり教育されて作られたアルバイト店員のような笑顔ではなく、むしろ休日の父親が三歳児の子供に高い高いをしているときのような笑顔だった。 「それで、峠を超えた後はどこに行きたいの?」彼は前方のくねくねした山道を注意深く見ながら言った。 「近くのインターチェンジまで行きたいんです」 特に目的地は無かったが、なんとなくそうした方がいいと思った。 「今日は仕事が休みで、なんとなくドライブがしたかっただけなんだ。おかげで暇も潰れそうだし、近くのインターチェンジまで送っていくよ」彼は僕がドアを開けた時から今までまったく変わらぬ笑顔で話した。 そのあと僕らは沈黙を作らないようにお互い話を絶やさぬように話し続け、インターチェンジへと向かった。彼は自分が看護師で茨城県の病院で働いていること、国境なき医師団としてパキスタンで長い間働いていたことを教えてくれた。 「そういうわけでみんなと休日が合わないから気晴らしに一人でドライブしてるってわけさ」 「なるほど」病院には休日も夜中も関係ないのだ。人々は休日や夜中だからと言って怪我や病気を我慢することはできない。 「それで、パキスタンにいた時は、どんなことをしていたんですか?」 「よく聞いてくれた」彼は今日一番の笑顔を浮かべ大きな手でハンドルとぽんと叩いた。 「みんな戦争で手足を失った人を直したり、末期の病気の人を直したりすると思っているみたいなんだけど、実際はぜんぜん違うんだ。みんな質素なものを生まれてからずっと食べてるから至って健康で病気もしないし怪我をする人もいないんだ」 「へえ、じゃあどんな人を見ていたの?」 「少し栄養不足の人に点滴を打つことくらいだよ、しかも中身はただのビタミン剤。実際はあんなの必要ないんだ。ただ先進国に住んでいる医者たちの実績と名誉のために作られているだけなんだ」 「そうなんだ」世の中というものはつねに不条理であり不平等なのだ。 2015.4.6 続き書いてるなうです。 ハイパー時間と労力がかかるので、もし、ここまで読んでくれている人がいたらTwitterに「読んでるよ」とリプライを送っていただけると、成田空港で出待ちをされて横断幕を掲げられるレオナルド・デカプリオくらい励みになります。 now writing…